
2025年11月1•2日、秋晴れの空の下、茨城県のシンボル筑波山の裏庭、桜川市みかげスポーツ公園にてBULSS2025茨城大会が開催された。
1lapの獲得標高が330mとハードなコースプロファイルにも関わらず、地元茨城、近隣の県、遠くは中国地方から16人の猛者がスタートラインに立った。
序盤はどのランナーも自身のペースで淡々と足を進めているように見えたが、空が暗くなるにつれてタイムが落ちてくるランナーが出始め、10周目にレースが動いた。
最初のDNFランナーが出た。彼が10周目のゴールラインを越えたのは11周目のスタートのカウベルがなってからわずか数秒後だった。その場に倒れ込み天を仰ぎ全身で息をし、まさに全てを出し切った状態であった。
そこから周回を重ねるにつれ、時間と競り合うように帰ってくるランナーの姿が増えた。「あと数秒」で駆け込む者、「あと数十メートル」で戻れなかった者…。戻れなかった者は悔しさを口に出しながらもその結果を受け入れているように見えた。自分の限界へ挑戦したことで充実した表情を浮かべていた。
やがて空が白み始める頃16人のランナーは7人まで絞られた。レース後のインタビューでわかったのだが、7人のサムライの多くはこの大会を100マイルチャレンジと捉えており、スタート前から24周でレースを終えるつもりだったらしい。彼らは残り7人となってから10時間、すでにボロボロの身体に自らムチを打ち、ときに共に走っている者同士鼓舞し合い足を進めた。100miles/24hoursの証明、バックルを手に入れるためだけに。
7人のうち5人が100マイル達成を機にDNFし26周目からついに一騎討ちが始まった。ヤング•ライオン20代の寺尾氏vsベテラン•オン•ザ•ラン40代の木本氏。
ラウンド1、26周目、これまで2人とも40分代でラップを刻んでいたがさすがに疲れが出てきたのか寺尾氏が55分と木本氏から7分の遅れをとった。眠気を訴え、肩で息をしている。
ラウンド2、27周目、困憊の寺尾氏を見て決着をつけるべく木本氏が仕掛けた。序盤から攻め、2km/±105mのループコースで周回差をつけ、寺尾氏の心を折りにいった。 木本氏が勝利を確信し拳を掲げ笑顔で会場に戻ってきたのは47分代だった。2km以上の差はどんなに頑張っても15分以上かかる計算だ。しかしその数分後に会場全体に衝撃が走った。28周目の3分前の笛を待たずに力強く腕を振り大きなストライドで会場に駆け降りてくる寺尾氏の姿があった。彼の心は折れていなかったのだ。
ラウンド3、28周目、今度は寺尾氏が動く。スタート直後の上りで木本氏を追い抜き先行した。「コレは長い戦いになるな…」オーディエンスの思いと共に陽が落ちた。
ラウンド4、29周目に事件は起こった。スタートして数分後、会場にゆっくり向かってくるヘッデンの光が。さっきまで元気だった木本氏だ。どんなに潰しにかかっても立ち向かってくる寺尾氏に対してリスペクトの念が生まれ、闘志が消えた、とのことだった。
11月2日17時52分寺尾氏のゴールをもってBULSS 2025 茨城は終了した。同時に初代ラストサムライが誕生した。
このコースプロファイルでは優れたフィジカルの持ち主が最後まで立ち続けることを(主催者も含めて)誰もが信じて疑わなかったはず。しかしそこはバックヤードウルトラ、最後まで諦めない強いメンタルを持つ者がラストサムライとなったのだった。
第一回から多くの胸が熱くなるシーンが見られた茨城大会。次回以降どんなドラマが生まれるのか、今から楽しみである。
最後に、大会の開催に向け、協力いただいた地元自治体のみなさま、協賛各社様、長時間寒い中選手を励まし続けたサポートスタッフ、そして大会に参加いただいたランナーのみなさまに感謝申し上げます。ありがとうございました。
BULSS 2025 茨城 RD Hirabowski a.k.a. オオヒラ
| Laps | Name |
| 29 | 寺尾匡史 |
| 28 | 木本 匡昭 |
| 25 | 樋口耕正 |
| 24 | 山中隆伸 |
| 24 | 境 雅高 |
| 24 | 柳瀬充孝 |
| 24 | 中野昌之 |
| 14 | 村田尚利 |
| 13 | 谷水 強 |
| 13 | 丸谷 昌慈 |
| 12 | 長 正博 |
| 12 | 漆嶋 義男 |
| 11 | 森正治 |
| 10 | 吉井 英春 |
| 10 | 伊勢山 健司 |
| 9 | Orikasa Daisuke |